力をかしてくれー・・・
2017.04.18 Tuesday 08:32

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おはようございます。

 

 

春の嵐ですかね。

 

 

この時間はだいぶ晴れてきました。

 

 

会社からの眺めも光がさしてきてだいぶよい天気になりそうです。

 

 

先週の木曜日の13日は先輩の命日でした。

 

 

その日にはいけなかったので、土曜日に諸般の報告へ。

 

 

去年は先輩がこよなく愛したチームで年間4冠。

 

 

タイトル総なめ。

 

 

できすぎの結果がでたのでご報告に。

 

 

 

DSC05340.JPG

 

 

本来静かに過ごしたい方もいらっしゃるので

 

 

写真を載せるのはいかがかとも思いますが

 

 

先輩の今の姿なので、、、

 

 

サッカーも会社もいろいろおきているのでここは天国から

 

 

先輩の力を注いで頂ければと思います。

 

 

さて、晴れてきた火曜日。

 

 

今日も1日がんばりましょう!

 

 

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この1年の報告にいってきました。
2016.04.13 Wednesday 22:04
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こんばんわ。


今日は風があると寒いくらいではありましたが、、、


夕方に時間を作って、西野さんのところへいってきました。


NCM_7041.JPG


今年もチームに力をくれるようにお願いしてきました。


きっと空からニヤけていることだと思います。


ちゃんと優勝したらまた報告にきます。


NCM_7042.JPG


ちゃんと空から見守って力くださいね。


本日もおつかれさまでした。


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1年という時はほんとに早い。あっちで楽しんでるかな?
2016.04.13 Wednesday 08:28
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おはようございます。

雨ですね。


今日は白血病で亡くなった西野さんの命日です。


早くもあの日から1年。


DSC02500.JPG


今もグランドにひょこっと姿を現しそうですが・・・

NCM_4517.JPG


西野さんが繋いでくれた球蹴り仲間たちは


それぞれ仕事で活躍しながら今も球蹴りしております。


DSC04447.JPG


去年はリーグは準優勝。


今週は西野さんが楽しみにしていていつかチャンピオンを狙っていた郡市の予選です。


今月末には冬のトーナメントの決勝もあります。


きっとそばにいれば大喜びしているんだろうな〜・・・などと考えながら。


皆ちゃんとがんばってるので安心して見守っていてください。


残された私にできることは全力で玉蹴りに仕事にできることをやることだけです!!!


今日はいつもより明るく1日を過ごしていきたいと思います。


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西野さんを偲ぶ会。。。
2015.07.14 Tuesday 17:40
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こんばんわ〜。


といっても、この時間も暑いですし、


まだまだ明るいですが。


先週の土曜日のサッカーの後に川崎市サッカー協会の


第1種委員会の皆様に


「西野忠臣を偲ぶ会」


を開催して頂きました。


NCM_5260.JPG


地域のサッカー協会の社会人委員会ってほんとに大変なんです。


皆さんほんとに好きじゃないとやってられない。


そして、私たちのチームの西野忠臣名誉GMもこの皆様と


一緒に第一種委員会で活躍していました。


そんな西野さんが繋いでくれたご縁。


NCM_5261.JPG


いつもグランドで声をかけて頂いている皆さんと飲んで、、、


そこは玉蹴り仲間。盛り上がりました。


NCM_5262.JPG


天国で西野さんも喜んでくれたかな〜。


皆元気で楽しくやってますよ〜。


西野さんが抜けた穴は大きく協会のYさんが大変そうです。


天国から助けてあげてください!!!


NCM_5263.JPG


あっそれから西野さん。


また、来ました。スポンサーの話と選抜の話。


激しい営業でした(笑)


天国からYさんへのご連絡お願いします。


お金は払いたいけどありませんと・・・(笑)


選抜はだしたいけど、日程が空いてませんと・・・(笑)


ほんとに西野さんは皆さんに愛されていたんだなーと。


そして西野さんの人徳のおかげで、私たちも可愛がっていただいてます。


西野さんが繋いでくれたご縁を大切にこれからもサッカーがんばります!


ほんとに川崎市サッカー協会第一種委員会の皆様ありがとうございました。


さて、そんな火曜日。


もうおわっちゃいますね〜。。。


今日も社員面談ばっちりはいっています。


今日もラストスパートがんばりましょう!


#西野さんを偲ぶ会
#西野さんは愛されていた
#玉蹴り仲間は楽しい
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時が過ぎるのは早い。
2015.05.25 Monday 12:14
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こんにちは。


月曜日ですね~。


週末は忙しく過ごしたのでまたそちらは後程。


この週末に西野さんの四十九日の法要がおわったそうです。


先輩から


---
四十九日の法要が終わりました。
釋浄蹴 (俗名:西野忠臣) はお墓に入りました。
お暇な時にお参り行くと喜ぶと思います。

東京都西東京市ひばりが丘4-8-1 (株)荻野 を目指してください。

...

建物の目の前にお墓の入口があります。
お車の方はそこに駐車できます。
左脇の細い通路を通って右側、10基目のお墓です。

STより
---



11351155_1083292438354039_7083827305564409900_n.jpg


詳細な地図も書いて頂きました。


11264043_1083292431687373_7571821351792695812_n.jpg


今頃なにしていますかね~。


川崎のチームが負けたり、話すことはたくさんあるんだけどなぁ。


ちゃんと天国から見守っててくださいね!


日々いろいろな事が起きますが、


生きているからこそ。


頑張っていきましょう!

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追悼西野忠臣!!!おわり。
2015.04.21 Tuesday 21:14
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こんばんわ。


川崎のチームはこの10年、GM西野、監督増田、庶務上田でやってきました。


西野さんは私の3歳年上。


増田さんは私の6歳年上。


諸先輩方に引っ張られてチームを作ってきました。


そんな西野さんの先輩の増田さんが書きました。


かなり長いですが、これが現実です。


ぜひ読んでください。


---facebook白血病にまけるな西野!から転載---


白血病と戦う西野について(全文)


私たちは、西野忠臣の身内ではなく高校時代のサッカー部のOBです。


病気で入院した際、普通は身内の方々が付き添いお世話をすものですが、


西野にはそうしてくれる身内がいないのです。


母親は2000年に喉頭がんを患って62歳で亡くなり、


父親はそれから10年後に悪性リンパ腫で73歳で亡くなられました。


とても仲の良い真面目なご夫婦で、晩年はお二人で海外旅行などを楽しんだりしました。


しかし、幸せな安息の日々は、母親の発病により数年で終わりをむかえることとなります。


母親の闘病の際には、父親が付き添い誠心誠意の看病をしました。


西野に身寄りがなくなり、一人で暮らし始めたのは2010年からになります。


それから3年後の2013年、ご両親と同じがんを発病することとなってしまいました。


西野の病気は、急性骨髄性白血病 FAB分類:M5a:急性単芽球性白血病という


白血病の中でも、症例数の少ない完治するのが難しいタイプのものです。


通常の白血病の場合移植を行った場合、5年生存率は50%といわれます。


西野の白血病の場合の5年生存率は6%でした。


私がはじめて西野の病気を知ったのは、


西野の直属の部下YT君からの6月の夜雨の電話でした。


彼ともサッカーを通して知り合いだったため、いの一番で連絡をくれました。


前々週には川崎市の河川敷グラウンドに一緒にいたのですから


「白血病」という言葉に耳を疑いました。


「喉の激痛で自力で救急で最寄りの病院にいったところ、


即刻、関東労災病院に移され、しばらく入院することになりそうだと。」


とのことでした。


このとき、私たちはまだこの病気の本当の恐ろしさをまったく知りませんでした。


関東労災病院は近代的で設備も新しく雰囲気の良い病院でした。


先生も看護婦さんもやさしく、西野も病院を気に入っていました。


一人暮らしをするより、こっちの方がよっぽどいいや。


と冗談をいったりしていました。


私たちの気持ちとは裏腹に、入院から数日のうちに抗がん剤治療が開始されました。


抗がん剤治療といっても点滴で体内へ落としてゆくタイプで、


西野の体調もとくに変化はなく、治療は順調に進み、


白血球は正常値を維持し悪玉もなしという状況で寛解は成功かに思われました。


入院から1か月経ったころ、染色体検査が行われました。


結果は 良い、普通、悪いで言うと、普通から悪い部類


46ある染色体中の11番と19番に異常がありこれが白血病の原因でした。


この狂った染色体を持った細胞が体内に存在し続ける限り、


どれだけ見せかけの治療を続けたとしても根本的に完治することはないのです。


このことにより、西野はある決断をしなくてはいけなくなりました。


移植です。


関東労災病院には移植が出来る専門スタッフがいないため、


主治医からの推薦を受けた虎ノ門病院へセカンドオピニオンをお願いし、


移植についての説明を受けに行きました。


移植には数種類あり、最強が「骨髄移植」、


その他「臍帯血移植」「ミニ移植」などです。


結果からいうと、西野は「骨髄移植」を選択しました。


選択はしたものの、骨髄移植をするにもいくつもの壁があります。


最大の難問はドナーを見つけることです。


西野の骨髄にマッチする骨髄液を提供してくれる人を探すことです。


まず、骨髄バンクの登録者。


そして同じ血液を持った身内。基本的には親兄弟などが対象です。


兄弟の場合でも的合格率は1/4となります。


私たちは絶縁状態にあった弟を探しだす必要性が発生しました。


西野が就職したころに居心地の悪い家を飛び出し、


母親の死さえ知らなかった弟です。


私たちは西野から、弟の借金で大変な目に遭っていると聞かされていました。


そんな弟に頭を下げてお願いするのかという葛藤がなかったかというと嘘になります。


ただ肝心の弟を探し出すのは大変なことでした。


聞かされていた住所電話はつながらず。


それでもなんとか弟と連絡が着いた時には、


梅雨も終わりを向かえようかという時期になっていました。


私がそのころ一番気になっていたことは、「西野の生きる決意」でした。


親もなく守るべき人も家族もいない西野が、


「別にいいや。」と自暴自棄になってもおかしくはありません。


そのころには、抗がん治療が進み副作用で髪の毛が抜け始めていました。


なんとかしたいと後輩たちが提案してくれたのが、Lineでした。


Lineで、西野を笑わせるための


「西野と松原高校サッカー部のすべらない話」というグループ。


あと、西野には聞かせたくない話をする「モーフィアス」


というグループを立上げました。


ある者は「Lineってなに?」「ガラケーじゃだめ?」


というところからスタートしました。


当初、私たち世代にとってLineは若干敷居が高いかに見えましたが、


いまでは、アルバムやノート、スタンプを使いこなしています。


このLineの効果は絶大でした。


現在、メンバー数は23名になっています。


毎日、「おはよう」から始まり、「おやすみ」で終わる、


ほぼ24時間体制のコミュニケーションツールとなりました。


これによって、西野は退屈な入院生活を皆と一緒に乗り越えて行きました。



移植についてですが、日本の白血病第一人者である先生のお話を伺い


「骨髄移植」へ一気に皆の気持ちも、行動もシフトしてゆきました。


まずは弟への西野の病気の説明と、適合するかの検査を受けてもらいたいということ。


弟にも家族がいて生活があるのですから「NO!」という返事が来たとしても


決して説得をすることはしまいと決め連絡をしました。


弟は西野の言っていた印象とは違い、快くドナーになることを受け入れてくれました。


現在、盛岡市に在住のため会社を休んで岩手県内の大きな病院に


わざわざ検査を受けに行ってくれました。


検査結果は1週間後、関東労災病院に届きました。無情にもNGでした。


ただ、これを機に西野と弟の関係は修復されることとなり


結果オーライといったところでした。


この年は、高知県四万十市で41.0℃という最高気温の記録更新があり、


各地でゲリラ豪雨的な大雨が降った夏でした。


このころ、西野はクリンルーム(無菌室)に移されていました。


化学療法による治療は、「寛解(かんかい)導入法」「地固め療法」と行われます。


「寛解(かんかい)」というのは、骨髄中にいる白血病細胞を


5%以下まで落とした状態です。


約1週間、抗がん剤を投与しますが、


その間には正常な血液細胞も減少するため抵抗力がなくなります。


私たちは普段、気にもしていませんが外部からの菌や病気に対して


人間の血液による防御は、何にも変えられない優れたシステムになっています。


「寛解」の際には、この鎧を脱いだ状態になるため、


外敵に対して防御力は0なのです。


「寛解導入療法」の際には赤血球や血小板も減少するため輸血を行います。


ただ、白血球は輸血できないため自力で正常な白血球が増えてくるのを待ちますが、


これに約1カ月の期間が必要となります。


その後、「地固め療法」という白血病細胞をさらに死滅させるための治療が始まります。


わかりやすくいうと、より強力な抗がん剤による治療です。


虫の声が聞こえるようになったころ骨髄バンクから5人の適合者がいる


という連絡がありました。


Lineでは、「これで行ける!」「治る!」と、どよめき立ったのを覚えています。


ただ、適合者はいましたが本人との同意を取らねばなりません。


骨髄バンクに登録していても、いざ移植となったら尻ごみすることも当然あります。


ましてや数日間の入院をして治療の後、骨髄を採取します。


そこにはもちろんリスクもありますし、家族の反対もあるかもしれません。


さらに適合はしていても5人とも


HLA型(ヒト白血球抗原型)の全てが合ってはいませんでした。


血のつながりのない他人の場合に、


HLA型がすべてあう可能性は数万分の1といわれます。


移植が成功したとしても、もといた細胞を異物と判断し攻撃するため


GVHD(移植片対宿主病)を発症します。


いわゆる拒絶反応です。


このGVHDの恐ろしさはボディブローのように体を痛めつけて行くことです。


この時には誰もが、ただ移植が行われ成功することにしか考えが回りませんでした。


骨髄バンクのスタッフの方のご苦労もあり、11月中旬に最終合意がなされました。


ドナーさんの最終的な決断には本当に頭が下がります。


どうにかお礼がしたいと皆で話しましたが、ドナーと患者や私たちは接触はできません。


住所や名前も教えない決まりになっています。


ただ、一方通行の一回だけのお礼分を送ることだけが許されます。


私たちは皆で小さな紙に一言ずつの感謝を書き、


封をしてはいけない封筒に入れ主治医に渡しました。


移植の日は、年明け2014年1月に決定し、


11月には移植に備えるために一時退院が許されました。


年の瀬には西野も参加してサッカー部の連中や


マネージャーなど20名が恵比寿に集合しました。


遠くは大阪や名古屋から、


高校時代には西野と年代的に交わらないものまで集まりました。


楽しいひと時は瞬時に過ぎ、西野は移植に向けて病院へ戻りました。


2014年1月骨髄移植が実施されました。


移植までの抗がん治療や西野の決心、弟の消息と検査までのこと、


ドナーさんとの合意など様々な困難がありました。


ドナーさんは全身麻酔で骨盤の腸骨に注射をして骨髄を抽出すると聞いていますが、


受け取る側は点滴です。


まるで西野が普段やっているような輸血と同じ要領なのです。


「結構簡単なんだ。」といっていたのを覚えています。


しかしここまででした。


ここから抗がん治療の副作用と、


まるで影のようにいつまでも追いかけて離れない


GVHD(移植片対宿主病)との長い戦いが幕を明けたのです。


下痢、胸焼け、頻尿、両足首のかゆみ、喉の痛み、皮膚の乾燥、口内炎、


それに首からのカテーテル。


「しゃべるのも食べるのもいや。」この様な状態が約2ヵ月間続きましたが、


我慢の甲斐あって桜が散り始めた4月初旬めでたく退院することになりました。


2013年6月、病気が発症した時に西野の体重は100Kgを超えていました。


身長は170cm程度なので、どれだけ標準をオーバーしていたか


おわかりいただけると思います。


それが4月の退院の時には、80Kg近くに落ちていました。


「すっきりしていい男になったねー。」などと、からかわれたりもしていました。


「ここからは落ちた体力を戻し社会復帰しよう。」


誰もが年末には会社に復帰した西野と再び忘年会をする予定でいました。


Lineでも皆が西野を励まし、日々「リハビリ」「ウォーキング」


「筋トレ」「食事」「栄養」「健康」などの言葉が飛び交っていました。


しかし、皆の期待とは裏腹に体力は一向に戻らず、


かえって薬の影響で味覚障害に陥ってしまい、体重は減少傾向でした。


このころ西野の体の中は、通常の人間と違い血液の中身が減少していました。


当然、赤血球が少なければ酸素を運べないのですぐに息切れしてしまい、


下手をすると貧血で倒れるという状態でした。血小板も少ないのですから、


倒れる場所が悪く出血でもすれば致命傷にもなりかねないのです。


思いついたことは、新生児と一緒だということでした。


生まれて3ヶ月間は直射日光を避け、徐々に外気に慣らして行かねばなりません。


紫外線による肌のダメージも回復できないほどに弱い血液です。


骨髄移植によって元からいた血液から新しい血液に入れ替わっている最中、


それはまだ幼い血液なのです。


私たちは各自の仕事をしながら、なるべくLineでコメントし、


こまめに西野の安否を確認しあいました。


階段をゆっくりですが、マンションの自室の3階まで休まずに登れるようになったのは、


5月に入ってからです。


そのころ、会社に挨拶へ行ったり、サッカー協会の会合に出席したり、


グラウンドへ自チームの試合観戦に行ったり、入院中に出来なかった、


やりたかったことをこなして行きました。


5月の後半には、サッカー部員が集まり西野主催のお礼会ということで、


茅ヶ崎海岸でバーベキュー大会を開催しました。


FIFAワールドカッブブラジル大会を目前にして、


ゆっくりではあるけどこれから元通りになると誰もが信じていた時でした。

バーベキュー大会から数日経った頃、


おなかの具合が悪いというコメントがLineに入りました。


「ソーセージ半生で食べるからあたったんだろ。」などと冗談を言ったりしました。


「最近ノロウイルスもはやってるぞ」という声もありました。


後から思えば、これが第二幕の始まりでした。


その後も胃が痛く食事がとれずでしたが数日間我慢してしまったのが悪く、


病院へ行くと脱水症状が酷いから即入院ということになりました。


検査の結果は「偽膜性大腸炎」でした。


「せっかく退院したのに。またかよ。」


「ちゃんと食べるもん考えてるのか?」


その時の皆の正直な感想です。


でも、違ったのです病魔は、西野の弱点をみつけそこに付け込んできていたのです。


6月14日ワールドカッブブラジル大会、日本代表の初戦が行われました。


あんなに楽しみにして、それに合わせるように退院したのに、


結局、西野は病院でワールドカッブを見ることになりました。


〜西野ブログより


日本代表、fight!!


「いよいよきました。後、数分で始まります。


選手はファンの為なんて要らないからチームの為に25人で頑張って下さい。


ファンはあなたたちの頑張りに期待してます。」


6月21日の朝、貧血で倒れました。


「目の前が真っ暗になり、気づいたときには数回、名前を呼ばれた後…」


とのことでした。


Lineコメントでは、「なぜ、「大腸炎」で入院したのに貧血で倒れるの?」


という疑問が持ち上がりました。


その疑問は払拭されないまま、ワールドカッブの日程は進み、


否応なく勝者と敗者が決まってゆきました。


6月24日、日本代表がコロンビアに大敗し、日本中が落胆しました。


〜西野ブログより


「まさかの残念…3回目みんなが悔しいはずですが…


特に選手、スタッフ… でも「よくやった」ではないよね。


そんな事じゃ未来はない。


長友選手、内田選手、世界に誇るSBになって4年後に戻って来ましょう!


この3日後の6月27日、私たちの疑問の答えが簡単にでてしまいました。


白血病が再発したのです。


「移植後5年以内に再発しなければ完治といわれ、そこを目指していたのに・・・


なぜ?まだ退院後3か月だぞ!」


皆、同じ気持ちでした。


7月2日


〜西野ブログより 


「おはようございます。実は先週末に告知を受けました。


再発…


そして


再移植。


ショックだけど、仕方がない。


前を向いて、闘ってきますよ。


困難には笑って立ち向かえですっ!


お世話になった方々、申し訳ありませんが再度お願いします。


不思議な事にあまり心が折れてません。


やる気スイッチ入りました!(笑)


最後にこの場を借りて御礼。」


白血病が再発した後に出来る事、


それは、治療をあきらめるか。


または、再移植です。


ただ同じ骨髄移植はできません。


結果が同じになるからです。


次の選択は、臍帯血移植になりました。


「臍帯血」とは、胎児と母親を繋ぐへその緒の中に含まれる胎児血のことで、


赤血球、白血球、血小板といった血液細胞を作出す造血幹細胞がたくさん含まれています。


骨髄移植に比べると、歴史が浅く研究の余地があるともいわれます。


また、採取できる量が少ないため大柄な西野には絶対量が足りないのではないか


という心配もありました。


ただ、メリットもあります。


こちらは骨髄とは違いさい帯血バンクに冷凍保存されたものを使用できるため


合意の必要はありませんので、


保存されている物よりベストマッチする物をチョイスできます。


現在、白血病闘病中の大塚アナウンサーは、はじめから臍帯血移植を採用されました。


7月4日に一時退院していたため、約10日間、


西野は自宅でワールドカップが観戦していました。


録画を含めほぼ全試合を観戦していました。


Lineも早朝からサッカーネタをコメントしていました。


そして、7月14日強いドイツを印象付けながら


ワールドカッブブラジル大会は閉幕しました。


西野は次回、ロシアでのワールドカッブも見たいといい、


7月28日新たな戦いのために再入院しました。


臍帯血移植も、骨髄移植同様「寛解(かんかい)導入法」


「地固め療法」と行われます。


ただし、これだけ早い再発のため、


かなりやっかいな相手であると主治医も判断しているため、


強い抗がん剤を使うとのことでした。


この短期間で2度目の化学療法からの移植は、体力的にも大きなリスクがあります。


予想外の、GVHDが発生するという予想もだされましたが、


年内に退院を目指して移植への準備は着々と進められました。


GVHD(移植片対宿主病)についてですが、


新しく体に入れられた免疫システムが、元の主を攻撃することで引き起こされます。


あまり激しい攻撃が続いてしまうと場所によっては致命傷となるため、


免疫抑制剤を使いながら慣らして行くということで理解しています。


ただ、まったく免疫システムを抑制してしまうことは、


新しい体を作れないということにもなるため、


適度にGVHDをだしながら新たな免疫システムを構築するという作業です。


ここに熟練の医師のさじ加減が必要になるわけです。


量も確保できて比較的西野に合う「臍帯血」を用意できたという報告を受け、


数日後の9月8日、臍帯血移植は行われました。


点滴によりその時間約5分。


移植をすると血液型が変わります。


西野の場合、当初O型→A型→B型になりました。


臍帯血の提供者は女の子とのことで、Lineには「B型女子」ありがとう。


というコメントがあふれました。


このころ、移植と同時に行われた「アルケラン」という抗がん剤の副作用により


粘膜の炎症が激しくなり、声も出なく、水も通らないという状況になりました。


約一か月間このような状態が続きました。


血圧が上がらないというコメントが多くなったのがこのころです。


私たちの心配をよそに主治医の見解では、


血圧が上がらない以外は順調にきているとのことでした。


先生の言葉通り、9月29日「B型女子」が正着したという吉報が舞い込みました。


臍帯血移植は成功し、第一関門をクリアしました。


安心したのも束の間。


10月16日、面会に行った2つ上のサッカー部時代の先輩、


ST君が驚いて看護婦さんを呼びました。


というのも、


「この病院の下にね、ボーリング場とかゲームセンターとかあるんですよ。」


「昨日の夜、遊びに行ってきたんです。」


「おやじは帰りました?」


とわけのわからないことを言っているというのです。


西野はクリーンルームにいて外出禁止。


ましてや、病院の地下に娯楽施設などありません。


検査の結果、HHV-6脳症、ウィルス性の脳症とのことでした。


このウイルスはもともと体内にあるものですが、


免疫力が下がってるので感染してしまったようです。


脳の海馬、記憶を司る部分で悪さをします。


記憶保持ができなくなり、ここ半年の記憶はもう戻らない。


臍帯血移植をした事、再発したことさえも忘れていました。


ST君が見舞いに行ったまさにそのタイミングに発症したそうです。


副作用で食べることに相当苦労していたはずなのに、


むしゃむしゃと食事をしている光景にぞっとしたのを覚えています。


HHV-6脳症、最悪の場合には脳が痙攣を起こし


人工呼吸器を使わねばならないこともあるそうです。



発見が早く早期に対処できたため大事には至りませんでした。


その後徐々に回復はしてゆきましたが、


「覚えられない・もの忘れがひどい」このことに西野本人がはがゆさに苦しんでいました。



実はこのことで、いろいろな弊害が発生するのです。


それは、お金にまつわる問題でした。


保険会社に対しての入院費の申請や傷病手当の申請など、


いろいろなところへの提出書類の履歴が西野の頭からまったく消えてしまったのです。



しかも、ノートPCで行っていた振込みなどのID/PASSまでもです。


各方面へ問い合わせや訪問をして、問題がほぼ解決したころには


11月も中旬を過ぎていました。


このころは記憶以外は順調に推移していると先生からも言われ、


本人も頑張ってリハビリにも励んでいました。


リハビリ室に車いすで移動し、歩行訓練、階段上り下り訓練などをしていました。


とはいえ、過去にグラウンドでボールを追っかけていたとは思えない衰えで、


生まれたての子鹿のように足が震えていました。



言うことを聞かない駄々っ子のような両足を躾ながら、


味も分からなくなって砂のように感じる食べ物を口から無理やりに食べ。


ほぼ水のような排泄にただれたお尻は触るのも痛く、


徐々に体を循環しなくなった水が足に滞り始め見た目にも太さを感じました。


それでも、再びの「退院」を目指して、良くなることを信じて懸命に日々と戦いました。


12月に入り数値的には順調に回復。


「あとはちゃんと食べられれば退院も見えてきましたよ。」


と告げられましたが、


西野はいっこうに実感の湧かない回復に不安と苛立ちを感じていました。


また、私たちも今年中に退院しろよと、


励ましているつもりが知らず知らずにプレッシャーをかけてしまっていました。


そんな中、西野ははじめて弟に電話をかけたのです。


あんなに嫌っていた弟に「退院したら手伝いに来てくれ。」と頼んだそうです。


12月12日、弟が上京しました。


主治医と担当医の先生と面談し、いままでの経緯を説明していただきました。


弟は盛岡で奥さんのご両親の近くで、大家族で暮らしています。


子供のころには実のお父さんと一緒に地元の野球チームに入り、


いくつもの大会で優勝していた球児でした。


どちらかというとお父さんは西野には甘く、弟には厳しかったそうです。


弟は長引く入院によって経済状況を気にしていました。


私たちもそれはずっと感じていたことでした。


健康保険からの傷病手当金は1年6カ月が最長のため、年内で終了となります。


退院後の生活を考えても、


入院中に住んでもいないマンションの家賃が月々消えてゆくことは


とてももったいなく感じていました。


12月25日、先生や看護婦さんたちが病棟でクリスマス会を模様してくれました。


部長先生がサンタに仮装。


スタッフによるバイオリン、フルート、ソプラノリコーダーでの演奏。


〜西野ブログより


中島みゆきの「糸」には泣けたわ〜


皆さんのお気遣いに感謝♪


西野はこのクリスマス会をきっかけに、


より前向きになり「社会復帰」に意欲を見せるようになったと記憶しています。


そして、静かに年は変わってゆきました。

年が変わって、西野もそう実感できる程度に、少しずつですが調子は上向いてきました。


完璧ではありませんが、記憶も徐々に回復し、


20日ごろには100m歩いたとブログで報告があがりました。


ただ、相変わらず食べることが毎日の戦いで、


胃を動かすことに恐怖感を抱いていました。


そんな1月の終わりの深夜、激しい腹痛に襲われ、


翌々日には腹部エコーと胃カメラが行われ、小腸の炎症と判明しました。


順調に推移した1月は「小腸の炎症」以外は比較的穏やかに終わりを迎えました。
  

2月に入り高校時代の友人たちが、サプライズの誕生日会を模様しました。


ケーキも用意されました、ただ「タオルのケーキ」ですが。


2月1日は、各方面よりお祝いのメッセージを受取り、


いままでにないようなたくさんの人に祝われた誕生日となりました。


〜西野ブログより


今日は誕生日。


たくさんのお祝いメッセージを頂き、大変ありがとうございます。


いくつになっても嬉しいものですね。


体調は相変わらず横這い。


リハビリのメニューをキツくしてくれと言ったら先生の方が引いてました(笑)


西野の家についてです。


賃貸マンションの3階エレベーターはありません。


川崎市内多摩川にほど近い場所です。


私たちは昨年の年末までまったく知りませんでした、気付きも予想もしませんでした。


それまで誰も西野宅へ上がったこともありませんでした。


昨年末、弟が上京した際にそれは発覚したのです。


世間一般にいう「ゴミ屋敷」です。


室内は数年間掃除がまったくされていない、


いまだに3人で暮らしているような状態で、


ご両親の身の回りの品一切、手を着けていませんでした。


発病前、西野の仕事はかなりの激務で、深夜に帰宅ということもしばしばでした。


母親が他界してからは、父親が日中は一人でその部屋で生活をしていました。


お仏壇に向かい、毎日のお供えは欠かしていなかったようですが、


伴侶を失った落胆は相当のもので、


日々の生活にはすっかり意味がなく興味がなくなってしまったものと見えました。


そして、お父様の闘病生活が始まり、西野にも部屋の事を気にする余裕がまったく、


なくなっていったと思われます。


2月の中旬に弟家族が上京したのは、部屋の片付けをするためでした。


弟、奥さん、姪っ子3名で、2日がかりで掃除をしましたが、


表面を処分する程度しか進みませんでした。


4月には退院して、新しい生活を始めるのにあの部屋に帰らせる訳にはいかない。


弟家族から引継ぎ、会社の同僚とサッカーOB、合計8人が集まって、


大掃除を決行しました。


約6時間かけて片付けましたが、約半分しか終わりませんでした。


その後3月中旬にも4人で大掃除をしましたが、後2割程度まだ残しています。


思い出してみると骨髄移植後2014年4月の退院時、


西野はこの部屋に帰ってきていたのです。


未熟な新生児のような血液のまま、埃もゴミも充満したこの部屋に。


あまりにも早い白血病再発の原因がこの部屋と無関係とは、


決して言い切れないと思います。


ただ虚しさとやるせなさが皆の胸に今も残っています。


3月7日、急遽ICU(集中治療室)に運ばれました。


2月16日のブログに足がむくんで歩きずらいというコメントがありましたが、


それが伏線でした。


理由は慢性のGVHD(移植片対宿主病)による呼吸障害です。


体の中の、様々な臓器が長い治療の末、悲鳴を上げているということでした。


腎臓や肝臓など、体外に排泄物を出す機関の働きが弱くなり、


結果体中に行き場所を失った水が滞り停滞している状態です。


その水が肺の中にまで。


ICUに運ばれる数日前に、


「俺は何をしているんだろう。」


「何もできないで皆に任せっぱなしで・・・」


「掃除だって、自分でやんなきゃいけないのに。」


「これじゃ、生きてるって言えない。」


いままでに、聞いたことのないネガティブな発言を


西野がLineにしたことがありました。


しかも夜中に。ひとり言のようにLineでつぶやいていました。


翌朝、


「どうした?」


「なにがあった?」


「大丈夫か?」


と皆が心配しコメントをしました。


そのころから、コメントの返信が何時間も遅れだしました。


ふたたび、HHV-6脳症ではと疑いましたが違いました。


後で分かったことですが、排泄物を出すための利尿剤によって体の水ではなく、


脳内が水不足に陥ったため、正常な思考が出来なくなったことが原因だったのです。


3月11日、私とST君、そして弟は先生と面談をしました。


弟が上京したのは、時間がないかもしれないという理由からです。



これ以上様態が悪くなった場合には、


気管内挿管になり全身麻酔で眠った状態になるため、


意識のあるうちに話をしてほしいとのことでした。


全身麻酔で眠った状態から抜け出せるのは約1割いるかいないか。


先生はそのように私たちに告げました。


西野がICUに運ばれた、わずか4日後


このFBで応援してくれる皆さん


ブログで応援してくれる皆さん


会社関係


サッカー関係


同級生など


皆の熱い心のこもった寄書が完成し、3月12日それは西野に手渡せれました。


酸素マスクに閉ざされた口で、声にならない声で「ありがとう」と確かに言いました。


当初マスク型の人工呼吸器でしたが、3月24日気管内挿管になりました。


管を口から直接肺まで入れ酸素を送ります。


肺に炎症もあり、レントゲンに映しだされた肺は溜まった水で全体が白く見えました。


ただ、先生に告知された「全身麻酔で眠った状態」にはなっていません。


いま西野はボダーラインを頑張って踏ん張っています。


ただ、「退院」し、再び会社に行って、好きなサッカー関係のことをして、


仲間たちと釣りに行ったりバーべキューをしたり。


そして、十年ぶりに出来た新しい家族である、


姪っ子たちとディズニーランドへ行く約束を守るために。


「気管内挿管をして2週間たったのですが、どんな感じですか?」


「まだ、小康状態で横ばいが続いています。」


「決して下降線ではないのが頑張っている証拠ではないでしょうか。」


という担当医の見解でした。


4月8日ICUの中で個室に移動になりました。


一番センターのモニターから目につきやすい場所から


入口近辺の比較的静かな場所に移されました。


ICUへのお見舞いの多さから他の患者さんへの配慮だと思います。


名前を呼ぶと理解はしているようですが、


麻酔の影響でかなり意識がモウロウとし反応が鈍っていました。


このころには肌もずいぶん状態がひどくなり、


レンタルで借りている浴衣も上からかぶせているだけの状況で、


手も水の影響で膨らんでしまい痛々しいほどでした。


ICUに来てから、体重が10kg程度増えていましたが、


これは体から排泄されずに滞った水の量と考えて間違いありません。


500mlのペットボトル20本分の水分です。


なぜこの様な状態になったのか、


全ては「慢性GVHD(慢性移植片対宿主病)」によるものです。


幹細胞が生着した後100日ごろに発症します。


新しい免疫の仕組みを体の中に作っている最中に様々な行き違いが発生します。


ドナーさんからもらった「造血細胞やリンパ球」が元々の住人の作ったものを


受け入れるかどうかということです。


白血病の怖いところは、「移植」という治療方法に頼らざるを得ない


ところにもあると知りました。


抗がん治療などの化学療法でどうにかなったり、


「HLA型が完璧に適合」するドナーを見つけられればそれは本当にラッキーなことです。


骨髄移植にしても臍帯血移植にしても、


この「GVHD(慢性移植片対宿主病)」のリスクから逃れる事は出来ません。


HLA型が完璧に適合していないと、程度の問題もありますが、


かならず「GVHD」に襲われるのです。


元々の原因は自分の造血細胞の暴走ですが、


これだけ体を破壊するのは移植による他人の免疫の拒絶反応なのです。


骨髄移植から、数ヵ月後という短いスパンでの臍帯血移植。


ろくに回復も出来なかった痛めつけられたままの体内では、


新しい免疫システムの執拗な追及が続けられました。


西野の症例は「GVHD」が重症化してしまった例だと言ってよいのではないでしょう。


4月10日夕方、ST君が主治医に呼ばれ告知されました。


「ずっと横這いだった臓器がここに来て最後の悲鳴を上げています。」


「心臓、腎臓、肌もボロボロ状態で敗血症になり、もう限界近くまで来ています。」


「その為この先、鎮静剤や麻酔を多めに使って楽にしてあげたい。」


「気管内挿管をしてこんなに意識がはっきりしている事は本当に珍しい事です。」


「それとここまで頑張ってる患者さんも初めてです。」


「今朝もあんな状態で痛みが無い訳ないのに、痛くないと言い張るんです。」


「正直にお伝えします。ここ一週間だと思います。」


「この先まったく尿による排泄が出来なくなってしまうと厳しいです。」


この情報が20:00ごろLINEで回りました。


とうとうこの時が来てしまった。


皆、心のどこかで分かっていたことですが最後通告でした。


そして、桜の鮮やかだったピンクが、ほとんど新しい葉の色に代わった肌寒い夜でした。


4月13日 AM2時19分 


駆けつけた友人たちに看取られながら、


2年近い不自由から解放され西野は眠りにつきました。


「最後は静かに穏やかな表情で・・・」と言いたいところですが、


その顔は決して安らかなものではありませんでした。


圧迫された呼吸器によって1カ月前から出来た


眉間の傷はその間も治癒することはなく、


気管内挿管により開け放たれた口はどんなに力で閉じようとしても


閉じることができませんでした。


両手両足は1.5倍にも膨れて、閉じたはずの目もしだいに開いてしまうほど。


それが白血病という不治の病と正面から向き合った証しなのです。


そして、2年間諦めることなく白血病と渡り合った


「寂しがりや」で「おおざっぱ」で「いい加減で」「片付けもできない」


でも「なぜかほっとけなくて」


「お人好しで」「誰からも好かれ」「誰にもやさしかった」


そして「たくさんの友達を持っていた」西野の生きた証でもありました。


高校時代のサッカー部の練習では、


「先輩もう勘弁してくださいよ〜」


「もうだめです〜」


とすぐに弱音ばかりはいていた西野が最後の最後に見せた生きようとする頑張りでした。


本当に心臓が最後の1回を刻むまで戦い続けたのです。


私たちはそんな彼を誇りに思います。


そして彼が残してくれた「友情の輪」をこれからも大切に日々を生きてゆきます。


心臓が最後の1回を刻み、命が尽きるその日まで。


あいつの分まで。


普通の日常の中に、空気のようにいろんなところに「それ」は存在しています。


ただ私たちは「それ」に馴れっこで、なかなか気付かず、知らんぷりをしてしまっています。

息を吸って吐いて、
空を見上げて、
星を眺めて、
風を感じて、
山を見上げて、
波の音に心揺らして、
水平線に思いふけって、
花を愛でて、
草木にふれて、
皆と話して、
口笛を吹いたり、
歌を歌ったり、
飯を食べて、
恋をしたり、
自転車に乗ったり、
手をつないだり、
お風呂に入ったり、
歯を磨いたり、
眠りについて、
私たちが普段している普通の事。


「本当は「それ」を「幸せ」っていうんだよ。」


と後輩の西野に教えられている。


そんな気がします。

皆さん、長い間応援してくださり本当にありがとうございました。


西野に成り代わり御礼申し上げます。


---転載おわり---


そして西野さんからのラストメッセージ。。。


thankyou.jpg


先輩がFBに連載していた内容です。


うちのチームでFBやってない人もいるのでこちらにも転載しました。


先輩達は自分たちの苦労は後輩である私には気を遣って


伝えてはきませんでしたがあとからこれを読んで


いろいろなことを知りました。


西野さんも本当にお疲れ様なのですが


諸先輩方も本当にお疲れ様でした。


尊敬します。


私は同じ玉蹴り仲間として本当にそんなことできるのだろうか???


自分自身に問いかけられているような気がします。


私自身もきちんとみんなを助けてあげられるように


より頑張っていきたいと思いました。


enjin.jpg



西野さん本当にありがとうございました。


ゆっくりとお休みください。


合掌!

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追悼!西野忠臣。旅立ち。
2015.04.21 Tuesday 11:05
JUGEMテーマ:日記・一般


おはようございます。


昨日は、西野さんの告別式で最期の旅立ちを見送ってきました。


お通夜は日曜日だったこともあり、多数の方にお会いできて


西野さんもうれしかったのではないでしょうか?


NCM_4520.JPG


日曜日は、ソフトサイエンスのチームの皆も


世代交代後の新旧集まって、皆でお別れしてきました。


日曜日の夜は、勝手に西野さんを偲ぶ会をチーム有志で行い


NCM_4509.JPG


新旧のチームメンバーがほんとに熱くいろんなことを語ってました。


チームの20代後半から30代前半の中堅どころのメンバーが


西野さんや増田さんのおかげでこうやって話ができているんだよ~と


NCM_4512.JPG


酔っぱらってループしながらも話してくれていると


いいチームですよ~と西野さんにいいたくなります。。。


そしてそれを西野さんと共にわかちあえないのは残念ですね。。。


夜中まで飲んで、次の日は告別式。


うちの若手メンバーも受付お手伝いさせていただいたり


NCM_4519.JPG


自分自身も入院あけのT君が月曜日もきてくれたり


NCM_4521.JPG


他にもチームではM君がきてくれたり


みんなほんとにありがとう。


最期のあいさつで棺の中には


前日に急遽夜作った色紙と


NCM_4517.JPG


西野さんの写真をうちの嫁セレクトで。。。


そして、現役時代の背番号が「8番」とのことで


一世代前のユニフォームの8番。


これはソフトサイエンスのキャプテンでお通夜の告別式で


受付してくれた、しゅーくんが普段つけていた番号ですが


リーグ優勝、郡市準優勝のときのユニフォームであり


西野さんの一番熱い気持ちが入ったユニフォームかと。。。


NCM_4514.JPG



最期のご挨拶をして出棺はチームの皆で送り出しました。


ほんとに西野さん長い間ご苦労様でした。


そして裏方をやってくれたみんなもありがとう。


全員が礼服なので、あまりどうかとは思いますし、


親族として入ったますださんは写ってはいないですが


私は西野さんのつないでくれた縁で皆とサッカーできたこと


とても感謝しています。


DSC04448.JPG


これからは、毎年、試合だけでなくてサッカーの新旧メンバー集って


偲ぶ会をやることにしていきましょう。


西野さんの想いを胸に刻んで、より一層チーム団結して


がんばっていきましょう!


さて、今日からは気持ちも更に新たにして頑張っていきます。


会社的には、今日から本物の2番手登場。


I君頼むよ!


ということで今日もがんばりましょう!
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追悼!西野忠臣。退院からその後・・・
2015.04.19 Sunday 10:13
JUGEMテーマ:日記・一般


おはようございます。


天気予報曇りでしたっけ?


かなり肌寒い気がしますが。。。


西野さんは2013年一時退院して試合にきて。。。


20131117_1.jpg


この年の納会。


20131117_2.JPG


皆で飲んで騒いで。


いつもの三ちゃんで・・・


20131117_3.JPG


おおお。ビールではないよね(笑)


ウーロン茶かな。。。


20131117_4.JPG


1回目の入院→転院から移植して退院してきて。。。


2014年春の状況。


豪華なベンチ組ですが(笑)



20140429_1.JPG


いやいやこんな日が続くとおもったんですけどね。


20140429_2.JPG


退院してきたときは車も運転してましたね~・・・


20140713.JPG


昔よりスリムになってきたので現役復帰かとも思ったのですが(笑)


20140713_2.JPG


芸能人がお忍びで見に来ているみたいだな~・・・


20140713_4.JPG


と、これが、最期に試合に来た時に西野さんをとった写真でした。


20140713_3.JPG


そのあとは、試合もきましたが写真はなく。


体調もいい時と悪いときでいろいろ大変だったようで


夏に再入院→そしてこの春を迎えました。


選手もたくさんいるし、私もわがままだったりして


監督との間で狭間に挟まれてたり(笑)


でも、ほんとにいい人でした。


そして今日と明日で最後のお別れをしてきます。


あっちで楽しく過ごすんだよ。


あっむこうでは結婚もしておいてね。


選り好みしないでね・・・


今日も私は西野さんも好きだったサッカーしてから伺います。


今の自分にできる精一杯のことを気合いいれてがんばってきます!


西野さんの最期にゴール送りたいな!


今日も1日ケガや病気にきをつけてがんばりましょう!
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追悼。西野忠臣。倒れる・・・
2015.04.18 Saturday 22:35
JUGEMテーマ:日記・一般


こんばんわ~。


今日は風が強かったですね~。


さて、続きです。


迎えた2012年。


郡市大会予選を初戦で敗戦。


この年もリーグで5位。


トーナメントも敗退。


チームの内容は良いんだけど・・・があまりに多く。


西野さんも骨折が治って坊主と遊んでくれますが


閉塞感に包まれていました。


写真は2012年の4月22日。郡市予選初戦敗退の日ですね。


20120422_1.JPG


こちらの写真は2013年1月20日。


対戦相手は強敵で仲良しの東急さん。


20130120_1.JPG


この写真が病気になる前にとった私がもってる最後の写真です。


20130120_2.JPG


そんな2012年シーズンがおわって、、、


2013年シーズンが始まった春に西野さんは倒れました。


最初、病名を聞いたときはほんとにどうなるんだろうと・・・


身の回りのお世話は西野さんの高校サッカー部の仲間の方たち


ソフトサイエンスの諸先輩方がいろいろやっていると伺っていたので


私や今のチームメンバーにできることは、帰ってきたときに


元の居場所を作っておくことだと考えました。


必勝を期した、郡市予選は3回戦でのちに郡市大会で優勝するチームに敗退。


郡市の予選は春ですが、本大会は秋なので


早く復活しろーと。。。(笑)


なのに負けたら復活できないじゃんみたいな件をやりつつ。


病院でもいろいろありながらもたくさん愚痴をきいてもらいました。


20130615_1.JPG


病院で3食きちんと食べて痩せていく姿に


白血病である以外は超健康などと騒いでましたね~。。。


20130615_2.JPG


お見舞いにもっていった○○本(18禁)は


すぐにお見舞いに来られた会社の後輩に渡すなど


まだまだ余裕な感じでしたね~。

20130622_1.JPG



20130622_2.JPG


そういや、病院からでてきたら看護婦さんと女医さんと


合コンしてくれるんじゃなかったっけ???


20130705_1.JPG


20130705_2.JPG



20130705_3.JPG



本格的な治療が始まってくると


いろいろ大変だったみたいですが


私のような後輩の前では気丈に振る舞い


独立してまだ日も浅い私の愚痴をよくきいてもらい


チーム戦術なんかもよく話してましたね~。。。


20130801_4.JPG


もともと話好きな西野さんですから


チームの皆の心配したり


20130801_5.JPG


ああでもないこーでもないと


20131004_1.JPG


ちょいちょいいってはグタグタしてました。


blog更新しろとか・・・


20131004_2.JPG


郡市にはでられなかったけど秋には戻るという固い決意のもと


がんばってました。


この年私は40歳になったので、シニアの所属チームと


代表チームと現役の各チームと


フル稼働になりさらにはいろいろなストレスがあったのですが


この頃は西野さんがいつもサッカーみにいきたいな~と話していて


サッカーできる喜びをありがたく感じていたというのと


ただ戻ってくる日を待っていたというか。。。


そんな感じでしたね~・・・


続きはまた明日。


今週もお疲れ様でした。
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追悼。西野忠臣と病気になる前・・・
2015.04.18 Saturday 11:13
JUGEMテーマ:日記・一般



おはようございます。


今日はいいお天気ですね~。


さて、西野さん企画続編。


2010年はその後勢いにのってチャンピオンシップも制しました。


20110306-1.jpg


2011年は震災の影響はアマチュアサッカーにも影響を与え


私たちもすべての大会で前年の成績を下回り


いろいろ試行錯誤だった気がします。


西野さんはというと、会社のフットサルに登場して


重量オーバーで骨折!



20111023_1.jpg


心臓の調子もあまりよくないよ~などといいながら


夏以降は松葉づえで笑われてました。


20111023_2.jpg


大好きなパチンコの話をベンチでしていたり


毎週の試合の洗濯も何ひとついやな顔せず


皆が勝って喜ぶのを最大の楽しみとしていました。


私の家に子供ができたのもこの年で。。。


ほんとに小さいときに試合につれていったときに


抱っこしてもらいました。


あっ西野さんさみしいからってうちの坊主はつれていっちゃだめだよ!!!



20111023_3.JPG


骨折しているのをばかにしまくった写真はたくさんあって、、、


20111023_4.JPG


普段はスタッフですからあまり西野さんの写真をとることは少ないですが


この時は馬鹿にしてましたね~。


2011年の納会。


毎年恒例で三ちゃん食堂へ。。。


この年は悪酔いした輩がたくさんいた記憶があります。


20111223_1.jpg


今見返すと選手の写真はたくさんあるんだけど


西野さんやK6さんの写真って少ないんだよね~・・・


もうちょっと意識してベンチスタッフもとるように


嫁におねがいしとかなくちゃ。。。


そんなかんじで2011年は暮れていきました。


また明日!


ということで、土曜日。


今日は親子サッカーで坊主とサッカーです。


すでに上野で買い物させられましたが。。。


今日も1日がんばりましょう!
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